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どうせ捨てるものに、お金を使ってもいい。

最近、かなり物を手放しています。

服、本、雑貨。

昔集めていたガチャガチャやフィギュア。

「これ、本当にまだ持っていたい?」

と一つずつ考えて、今の自分に必要のないものは手放す。

そうしていると、ときどき思います。

「こんなに手放すなら、最初から買わなければよかったのかな」

ガチャガチャなんて、特にそうです。

数百円払って、小さなおもちゃが一つ増える。

欲しいものが出なければ、もう一回。

しばらくは飾ったり眺めたりするけれど、何年か経てば興味がなくなって、結局手放す。

それだけを見れば、

「最初からやらなければ、その分のお金も残ったし、物も増えなかったのに」

と思います。

でも最近、ある昔のガチャガチャのことを思い出しました。

そして、

「物を買うこと」と「体験を買うこと」って、本当に別なんだろうか。

と思うようになりました。

目次

大学生のころ、どうしても欲しかったマイクの指輪

私が大学生だったころ。

両親と一緒に、買い物へ出かけた日のことです。

そこにはガチャガチャがずらっと並んでいて、その中にディズニー・ピクサーのキャラクターの指輪が入ったガチャガチャがありました。

そこで見つけたのが、モンスターズ・インクのマイク。

「かわいい!これ欲しい!」

と思いました。

一緒にいた父に、

「これやりたい」

と言ったら、

「いいよ」

とお金を出してくれました。

実は父は、どちらかというとお金の使い方には慎重な人です。

子どものころから、何でも好きなだけ買ってもらっていたわけではありません。

だから、大学生にもなった娘のガチャガチャにお金を出してくれたこと自体、私にはちょっと意外でした。

そして1回目。

マイクは出ませんでした。

「あー、違った……」

と残念がる私。

それでも、

「やっぱりマイク欲しかったなあ」

と言っていたら、

父がもう一回やらせてくれました。

そして2回目。

マイクが出た。

嬉しかった。

本当に、ただそれだけの出来事です。

指輪はないのに、その日のことは覚えている

そのマイクの指輪。

今はもう、手元にありません。

いつまで持っていたのかも覚えていないし、いつ手放したのかも覚えていません。

でも不思議なことに、

買った日のことは覚えています。

ガチャガチャを見つけて「欲しい」と思ったこと。

父がやらせてくれたこと。

1回目で出なくて残念だったこと。

もう一度やらせてもらって、2回目でマイクが出たこと。

そして、その指輪をつけてディズニーランドへ行った記憶まで残っています。

物そのものは、とっくにない。

でも、あの日の私は確かに嬉しかった。

そう考えると、

あのとき父が使ってくれた数百円で買ったものは、

マイクの指輪だけではなかったのかもしれません。

「体験にお金を使う」って、旅行だけじゃない

「物より体験にお金を使おう」

という言葉を聞くことがあります。

旅行に行く。

美味しいものを食べる。

コンサートへ行く。

そういうものが「体験」として思い浮かびます。

でも、物を買うことだって、体験になることがあるんじゃないかと思います。

例えば、お祭り。

子どもが、

「かき氷食べたい!」

と言ったとします。

お祭りのかき氷って、スーパーで買うアイスより高かったりします。

お面だって、

「これ、家に帰って本当に使う?」

と思う値段だったりする。

旅行先で欲しがった、ちょっとしたおもちゃだってそうです。

家に帰れば似たようなものがある。

ネットで探せば、もっと安く買えるかもしれない。

数か月後には飽きているかもしれない。

効率だけで考えれば、

「買わない」が一番無駄のない選択

なのかもしれません。

でも、

お祭りでたくさん並んだ屋台の中から、自分で選んだかき氷。

旅行先で見つけて、「これ欲しい!」と目を輝かせたおもちゃ。

「今日は特別ね」

と言って買ってもらったこと。

それも全部、その日の体験の一部なんじゃないかなと思います。

「どうせ捨てるから買わない」にしたくない

今の私は、物を減らしたいと思っています。

家の中に物が多いと、それだけ管理するものも増える。

片付けるものも増える。

だから、

「本当に欲しい?」

と考えてから買うことは、これからも大切にしたいです。

でも、物を減らすことを意識しすぎるあまり、

「どうせすぐ使わなくなるから」

「どうせ捨てることになるから」

という理由だけで、何でも買わないようにはしたくありません。

特に、子どもと過ごしているとそう思います。

「これ欲しい!」

と目を輝かせている瞬間。

もちろん、欲しがるものを全部買うわけにはいきません。

お金にも限りがあるし、

「今日は買わないよ」

という日もあります。

でも、

「どうせ飽きるから」だけで、その気持ちを全部切り捨てたくはない。

と思うようになりました。

三色団子を買った日にも、同じことを思った

以前、娘がずっと気になっていた三色団子を買った日のことを書きました。

私はそれまで、

「どうせ食べないだろう」

と思って、買っていませんでした。

でも実際に買ってみたら、

娘はびっくりするくらい嬉しそうでした。

大事そうに家まで持って帰って、

袋を開けて、

「ピンク、白、緑」

と嬉しそうに眺めて。

美味しそうに食べていました。

もちろん、何でも一度買ってあげるべきだとは思いません。

でも、

私の「どうせ」で、子どもの経験を先回りして決めなくてもいいのかもしれない。

あのときも、そんなことを思いました。

ガチャガチャも、三色団子も。

物と食べ物で全然違うけれど、

私の中ではどこかつながっています。

買ったものを手放すことは、買ったことを否定することじゃない

断捨離をしていると、

「これ、結構高かったのにな」

「頑張って集めたのにな」

と思うものがたくさん出てきます。

すると、

「こんなに捨てるなら、買ったこと自体が無駄だったのかな」

と思ってしまう。

でも、今は少し違います。

そのとき欲しかった。

買えて嬉しかった。

使った。

眺めた。

集めるのが楽しかった。

それなら、

その物には、そのときちゃんと役目があった。

そして今、

「もう十分楽しんだな」

と思うなら、手放せばいい。

一度買ったからといって、一生持っていなければならないわけではありません。

手放すことは、

過去の自分の買い物を否定することではない。

そう思えるようになってから、物を手放すことへの罪悪感も少し減りました。

私が目指したいのは「買わない暮らし」ではなかった

物を減らし始めると、

「もう無駄なものは買わない!」

と思いたくなります。

でも、たぶん私は無理です(笑)。

かわいいものが好き。

ディズニーも好き。

ガチャガチャを見たら、これからも立ち止まると思います。

子どもが喜びそうなものを見つけたら、買いたくなると思います。

それを全部我慢して、

「物が少ない家」を維持することが、

私の理想の暮らしなのか。

考えてみたら、違いました。

私がしたいのは、

「持たない暮らし」ではなく、「執着しない暮らし」。

欲しいときには買う。

買ったら、ちゃんと楽しむ。

そして役目を終えたら、

「高かったから」

「せっかく買ったから」

だけを理由に抱え込まず、手放す。

また欲しいものに出会ったら、そのときの自分に聞いてみる。

「私はこれに、お金を使いたい?」

YESなら、買うことがあってもいい。

そんな付き合い方が、今の私には合っている気がします。

「どうせ手放す」からこそ、今楽しむ

以前の私は、

「どうせ手放すなら、買わない方がいい」

と思っていました。

でも今は、

少し違う考え方もできるようになりました。

「いつか手放すものだからこそ、今楽しめばいい。」

もちろん、何でも買うという意味ではありません。

買わない選択もする。

節約したいときは我慢する。

本当に必要なのか考える。

でも、

「残るかどうか」だけを、買い物の基準にはしない。

だって、

大学生のときに父に買ってもらったマイクの指輪は、

もうどこにもありません。

それでも私は今、あの日の話をこうして書いています。

物はなくなったのに、

父がもう一度ガチャガチャをさせてくれたことは覚えている。

マイクが出て嬉しかったことも覚えている。

物は残らなくても、買った日のことは残ることがある。

だから私はこれからも、

買わないことだけを正解にはしたくありません。

欲しいものを買って。

その瞬間を楽しんで。

役目が終わったら、手放す。

そしてまた、

そのときの自分に必要なものを選ぶ。

物との付き合い方も、お金の使い方も。

「こうするべき」に縛られず、

そのときの私にちょうどいいところを、これからも探していきたいと思います。

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この記事を書いた人

2児の母、会社員。
子育ても、暮らしも、働き方も、まだまだ試行錯誤中。
「こうするべき」より「私はどうしたい?」を大切に、私にちょうどいい暮らしを探しています。

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